気まぐれ日記 04年2月

04年1月はここ

2月1日(日)「身体が資本。ファイト〜、一発!・・・の風さん」
 次女がインフルエンザにかかって寝込んでいる。昨夜はだいぶ回復して、夕食後に入浴もしていた。・・・が、今日になってまたぶり返したらしく、夕方からまた発熱しているそうだ。どうも世の中、いろいろな病原菌がうようよしているみたいだ。それで、牛肉がだめになり、鶏肉もだめで、次は豚コレラが流行れば、豚肉もだめになるだろう。地球上に人類が増えすぎたのかもしれない。
 人類が滅亡する前に、私は良い作品を残したい(って、人類が滅亡したら、誰が読む? 宇宙人か?)。先週に続いてトレーニングに出かけた。そしたら、な、なんと、また体重が増えた!先週の二つのパーティーでごちそうを食べたせいに違いない。これからは粗食でいかねば・・・いや、絶食がベストかも。
 トレーニング後の数値は、血圧は異常なし、として、肥満度がプラス1%で、体脂肪率は19%だった。ただし、今日、専属トレーナーが教えてくれたのだが、トレーニングをして汗をかいた後は、体脂肪率は低く出るのだそうだ。真値はトレーニング前だって。ちぇ。
 それから、身体が温まっていないうちにストレッチをすると、伸びが悪いのでよくないとのこと。

2月4日(水)「疲労回復とでん六豆の関係・・・風さん」
 2日の夕方、いったん帰宅してから、出張の準備をして家を出た。電車や新幹線を乗り継いで、埼玉県の某所までたどり着いた。ホテルにチェックインしたのが午後10時近くだった。久々の低料金ビジネスホテルで、こんな所で寝られるかな、とちょっと不安になるような部屋だった。
 すぐにシャワーを浴びて、いつでも寝られるようにベッドに横になり、明日のために、会社の仕事に関係のある本を読み出した。部屋中の照明器具を総動員しても手元が暗い。また、エアコンがフル運転されていたが、やけに寒い。しかし、湿度は低く、気分は悪くなかった。ケータイでメールチェックしたり、メール送信してから、午前零時過ぎに就寝した。
 3日はホテルの朝食から始まった。いちおうバイキング。しかし、どうも、給仕のおばさんがひとりで作ったような気がする。洋食を選択し、あれこれと皿に盛ったが、元が取れたとはとても思えない。しかし、たくさん食べてお腹をこわしたのでは、「あほう!」と言われても仕方ないので、適当にしておいた。
 タクシーで利根川を渡って、赤城山や榛名山を遠望する某社に着いた。
 昼までで用事を終え、続いて、また電車を乗り継いで、西国分寺まで行った。
 3人で移動しているのだが、訪問先がやや辺鄙な所にあるので、移動時間が長い。
 午後3時過ぎに到着。
 1時間ほどで用事を終え、また電車や新幹線を乗り継いで、名古屋まで戻ってきた。疲れた。
 4日は・・・、遠くへ出かけたわけではないが、本社と勤務地を往復し、あっという間に1日が終わってしまった。
 かなり疲れた。
 バイパスをミッシェルで走っていたら、急に吹雪に遭遇した。大きな雪つぶてである。よく言われる「暦の上では立春だが、春まだ遠し」である。今夜は早目に寝て、少し体力の回復を待とう。・・・と思って帰宅したら、福島県の兄夫婦から私の好物である「でん六豆」が届いていた。昨年買っておいたやつが残っているはず、と床下収納から引っ張り出してもらったら、賞味期限が今月17日だった。それから食べよう。

2月7日(土)「急遽瀬戸内海を渡る・・・の風さん」
 昨日、部下のお母さんがお父さんに続いて急死したため、会社内の香典を集め、代表して葬儀に出席することにした。ところが、本葬が今日の11時からと決まり、慌てることになった。部下の実家は愛媛県西条市である。
 名古屋から始発の新幹線に乗っても、間に合わないのである。もちろん飛行機もだめ。
 それで、急遽、昨夜、名古屋発21時34分ののぞみに乗って岡山まで行き、ホテルに宿泊することにした。
 往復の時間がかなりあるので、菅谷充さんの『旭日のGP(グランプリ)』(上)(下)(学研 各850円税別)を持参した。気楽に読めるだろうと思い、すぐに読み始めた。ところが、なかなかの力作で、こういう作品に出会うと、つい読むだけでも力んでしまう。秋月達郎さんの『マルタの碑』のときのような印象だ。第2次世界大戦前に、ヨーロッパでグランプリレースに情熱を燃やした日本の男たちの話だ。主なストーリーはフィクションなのだろうが、時代背景はしっかり調べられているようで、説得力がある。
 ホテルをチェックアウトして外へ出ると、猛烈に冷え込んでいた。
 8時30分発の特急「しおかぜ」に乗車した。
 瀬戸大橋を渡るときに眺めた瀬戸内海は、明るい空の下でさまざまな青色に塗られていた。風が強いのだろう。ところどころ泡立つように白波が騒いでいる。大小の船が東から西へあるいは西から東へと行き交っていた。
 目的の駅に着くと、「瀬戸の花嫁」が流れていた。発車を知らせるベルの代わりだった。
 昨日、ショックを受けていた部下は、かなり立ち直っているように見えた。奥さんもお子さんたちもしっかりしており、家族が力を合わせてこの不幸を乗り切ろうとしているのが切々と伝わってきて感動した。
 葬儀は1時間ほどだったが、現地滞在時間は約3時間。帰りの特急を待つ間に、とうとう小雪が舞い出した。
 岡山でのぞみに乗りかえ、名古屋から名鉄に乗って、ようやく帰宅した。片道5時間ほどである。
 菅谷さんの『旭日のGP』は上巻を読みきるのがやっとだった。ストーリー的には手に汗握る感じで、とても面白い。早く下巻を読みたい。

2月8日(日)「右脳でラクに覚える英単語の応用?・・・の風さん」
 一転して好いお天気である。
 名古屋の鶴舞というところにある市立図書館に、依頼原稿のための資料を借りに出かけた。以前は、名古屋市民でないと貸出券は作れなかったように記憶しているが、今日は作ることができた。書庫から貴重な資料が出てきて、飛び上がりたいほどうれしかった。これで、原稿はうまく書けるに違いない。
 若桜木虔さんから新刊が届いた。『右脳でラクに覚える英単語』(青春出版社 730円税別)である。冒頭の視野を広げよ、という部分は速読術の延長線上にあり、眼力の弱い私としてはちょっとマイッタ。が、そもそも単語の語源は擬音語から擬態語になり・・・、という部分からは引き込まれた。しかも、英語でも日本語でも発想はというか音感は類似している、という説明に、すっかり納得してしまった。豊富な単語例が示されていて、私自身としては、とても面白かった。
 私は最近執筆について、あることを考えている。それは、自分の遅筆解決法である。芸術は右脳が大事だが、文章作成とか語学といったものは左脳が司る。この矛盾する性質の合体したものが文学となる。私の場合、クロスオーバーを求めすぎるために、結局、遅筆に陥っているような気がするのだ。それで、一度、右脳を中心にして原稿を速成し、その後、左脳を働かせて、推敲をすれば、もしかすると遅筆が解決するのではないかと想像しているのだ。
 人間の能力は無限だと信じている。それは、人間には神秘的な働きをする脳があるからだ。

2月12日(木)「合掌! 杉本健吉画伯の巻」
 貴重な資料も手に入ったし、右脳と左脳の使い方もある程度決めたにもかかわらず、超多忙な日々が続いてしまった。会社の仕事である。おかげで確定申告もどこかへ吹っ飛んでいる。
 そんな目の回るほど忙しい会社の仕事時間中に、会社の知人から内線電話で、杉本健吉画伯の訃報を知らせてきた。インターネットの速報があったらしい。
 正直言って、お歳がお歳なだけに(98歳である)、いつかは、という覚悟をしていた。しかし、まだまだお元気な様子だったし、もう一度、『和算忠臣蔵』のように拙著の表紙絵をちょうだいしたかった。残念である。
 『和算忠臣蔵』のあとがきにも書いたが、生を見つめる者は画家になり、死を見つめる者は小説家になる、と今でも思う。底知れない生命力で創作活動を続けられた杉本画伯のことは、生涯、尊敬してやまない。遅筆で寡作の私にとっては、永遠の目標なのである。
 帰宅したら、ワイフから「中日新聞から杉本先生のことで電話があったので、ケータイの番号を教えたけど・・・」と言われた。そう言えば、夕方、エリクソンが鳴動した。しかし、液晶画面には「番号非通知」と出たので、応答しなかった。徹底的にメモリダイヤルを登録している私は、怪しい「番号非通知」電話には出ないことにしている。だから、会社の電話からかけてくる電話にも出ない。私のエリクソンは原則としてプライベートの緊急電話なのである。そのことをワイフに説明したのだが、それを聞いたのは初めてだったようだ。
 久々に中日新聞に登場するチャンスを逸してしまった。ま、仕方ないか。
 亡くなられたのは、10日で、肺炎とのことである。3月3日、杉本美術館で「お別れの会」がある。

2月13日(金)「絶不調の原因は?・・・の風さん」
 13日の金曜日だが、いちおう大安である。バイオリズムをチェックすると、昨日はミス・過失注意日だったが、今日は体力活動好調日となっている。・・・がしかし、不調である。疲労気味なので、毎日早めに寝ているのだが、朝がちとつらい。運動不足もあろう。身体が硬直している。死後硬直でなく生前硬直か。
 朝、鏡を見たら、視界が変だった。近くが見えない。睡眠不足ではないので、いよいよ老眼がひどくなってきたのかもしれない、と思った。
 今日は、ある企業の部長に、会社で講演をしてもらった。昨年、出張でお話をうかがい、とても感動したので(デジタルエンジニアリングを始めとするさまざまの技術に対する考え方や姿勢にである)、講演をお願いしたのである。多忙な私は、昼食だけご一緒させていただいた。そのとき、とても含蓄のある言葉を聞いた。「その国で、第1次産業と第2次産業が廃れると、国民は忍耐力がなくなる」というものである。額に汗したり泥や油にまみれて働くことを忘れれば、確かにそういうことになりそうだし、現在の日本はそうなっているのではないだろうか。
 勤務地へ戻るためにミッシェルを運転していて、ようやく気が付いた。左右の視力に著しい差があるのだ。コンタクトを左右入れ間違えたのだ。勤務地へ着いて入れ替えると、いつもの世界が目の前に現われた。
 今夜も遅く帰宅し(昨夜自動洗車したばかりなのに、途中にわか雨に降られた)、昨日の杉本健吉画伯訃報の新聞記事を読むと、画伯の感動的な語録が視力を取り戻した目に飛び込んできた。「考えちゃだめ、絵は生まれるもの」「感激は受胎」この精神は、小説を書くことにも通じることだと思う。特に、自分自身できていないことなので、肝に銘じたい。

2月14日(土)「バレンタインデーなのにイマイチ不調・・・の風さん」
 とにかく疲労をとろうと、昼近くまでベッドから起きなかった。
 ブランチ後、新鷹会の仕事で往復葉書を印刷した。4枚印刷しなければならなかったのだが、先月印刷して投函したものと同じものを印刷してしまった。(この粗忽者!)と内心愚痴りながら、再トライしたら、今度は、同じ宛先のものを4枚も印刷してしまった。
 もはや末期的症状であると判断し、トレーニングに行くことにした。
 日中の予想最高気温は15℃で、全く寒さは感じられない。空は晴れ渡り、風もなく、実に爽快な気候だ。
 じっくりとストレッチに時間をかけた。運動後の数値は、血圧は問題なし、前回より体重は減っていて、肥満度−0.9%、体脂肪率20.5%だった。帰りにコンビニで往復葉書をしこたま仕入れて、シャワーを浴びた後、再印刷した。今度はちゃんとできた(当たり前か)。
 今日はバレンタインデーということで、親族からたくさんプレゼントをもらった。チョコレートは大好きだが、今でもにきびができるので、あまりたくさんは食べられない。それで、チョコレート以外のものももらえるわけだ。
 たっぷり寝て、トレーニングにも行ったが、まだ本調子でない。ああ、原稿、どうする?

2月15日(日)「車中は読書だぜ・・・の風さん」
 昨夜、突然雨が降り出した。かなり強い降りで、風も混じっていた。
 今日は新鷹会で上京するので、早目に就寝し、早起きした。雨は上がっていたが、当地の常で、強風が吹き荒れている。ただし、新聞等の天気予報では、東京は穏やからしいので、気楽に出発した。
 名古屋までの特急の中では資料読みをした。東京までののぞみの車中では、先週の続きで、菅谷充さんの『旭日のGP(グランプリ)』(下)を読み出した。やはり面白い。エンターティンメントの極意というか、さすが漫画家らしく、先へ先へと読者を引っ張っていく。
 東京は確かに暖かだった。八重洲ブックセンターへ直行し、お目当ての資料を購入しようとしたが、全部は買いきれなかった。帰りに時代小説の棚をチェックしたら、『円周率を計算した男』と『怒濤逆巻くも』(上)(下)があった。
 新宿でランチにしたが、途中で本木雅弘一家がやってきた。奥さんと子供二人を連れていて、本人はサングラスで顔を隠していたが、すぐに分かった。二枚目だが庶民派の面があり、この役者に私は好感を抱いている。お嬢さんは顔がモックンそっくりで、可愛かった。
 新鷹会で、「大衆文芸」送付先見直しリストを配布し、今後検討していくことを約束した。いちおう新鷹会の理事であるが、裏方もやらねばならない。
 帰りの車中でも『旭日のGP』を読み続けたが、半分くらいしか読めなかった。

2月19日(木)「昭和35年の雑誌・・・の風さん」
 先週から会社は超多忙である。実は、この間の土日、多くの部下が休出して頑張ってくれた。
 そして、今週も多忙な日々が続き、毎日、帰宅すると、遅い夕食を摂り、入浴してメールチェックしてすぐ寝ていた。つまり執筆はまるでできない状態である。
 昨日など、朝、ケータイを食卓の上に置き忘れて出社した。幸いメールの記録などをすべて消去してあったので、ワイフやうるさい次女に追及されることはなかった。まったく悪運の強い風さんである。
 今夜も疲労と苛立ちをかかえて帰宅すると、うれしい郵便が届いていた。新鷹会の大先輩で、お会いする前に亡くなられた、穂積驚(みはる)先生の遺族の方からで、いつも長谷川先生ゆかりの品物を送ってくださる。
 今回は、たまたま私が「大衆文芸」に短編小説を載せたことをお祝いして、またすごいプレゼントを送ってくださった。「サンデー毎日」昭和35年4月特別号(50円)である。表紙は大竹省二撮影、三船敏郎の国定忠治。内容は、長谷川伸特集、推理時代小説特集である。よくこのような雑誌が残っていたものだと感心する保存の良さで、今となっては稀覯本の類であろう。これは秘書に頼んでラミネーションしてもらおうと思う。写真も豊富だし、短編小説がぎっしり詰まっているので読み応えもありそうだ。
 と思いつつ、やはり今夜もさっさと寝るしかなかった。

2月20日(金)「大作を読み終えた夜・・・の風さん」
 今日は日中の最高気温が18℃まで上がったらしい。会社の同僚が花粉症だと言っていて、私は目がゴロゴロしている程度だったが、帰宅する頃にはくしゃみが出始めた。つらいシーズンの到来である。
 なんとか大トラブルもなく1日が終わったので、久しぶりに早目に退社した。
 『旭日のGP(グランプリ)』を読み終えた。いやあ、実に力作であり大作であった。拙著『怒濤逆巻くも』も執筆から2年半と偉そうに語っていたが、この菅谷さんの本も4年かかったとあとがきに書いてある。そして、参考文献の数々がこの作品の確かなバックボーンを示していた。フィクションとは言え、男たちがロマンを追っていた時代の物語を、迫真のドキュメンタリー風に綴っている。漫画家ならではのストーリー展開で楽しませてもらった。
 さあ、明日はいよいよ原稿を仕上げねばならない。
 
2月21日(土)「これではいい男になれない・・・の風さん」
 たっぷり9時間寝た筈なのに、すっきりと起床できなかった。身体がだるい。昨夜飲んだ抗アレルギー錠がまだ体内に残っているのだろうか。執筆を開始しなければならないのに、これはヤバイ。
 結局、昼食後にダウンしてベッドへ倒れ込んだ。全く執筆に着手できないままだ。鼻も少しぐずぐず言っている。
 そのまま夜になり、夕食後もしばらくテレビを観てから、フラフラしながら書斎へ入った。
 次第に元気が戻りつつある中、とにかくゴールを目指した。(あ、「別冊歴史読本」用の原稿です、はい)
 ほとんど資料チェックをせずに書き続け、午前2時半にゴールに到達した。不思議なもので、書いているうちにオチが見つかった。
 それから入浴して、まだ眠くなかったので、3時から読書をすることにした。軽いものを、ということで、『いい男の条件』を取り出した。銀座のママさんの書いたベストセラーである。いい男になりたいというセコイ風さんは、前から読みたかったのだ。
 読破した。
 が、不満。
 これは編集者に問題があるな。きっとママさんは話すと面白いことを言う人だと思う。けっこうドキリとするようなこともね。しかし、この本はきれいごとが中心で、ほとんど本質というかきわどい部分に触れていない。具体性が乏しいために説得性がないのだ。しかも、章立てに意味がなく、どこを読んでも同じ調子である。

2月22日(日)「結局半徹夜でないと原稿はできないのか・・・の風さん」
 午前5時に寝て、10時に起きたから、睡眠は5時間かな(どうもずれていて実感がない)。
 いくらか気分は良い。今日も暖かで花粉症が心配だが、天気予報は昼前から雨らしい。
 12時半までにざっと原稿の見直しができたので、雨が本降りにならないうちにトレーニングに行くことにした。
 最近、多忙な中、また高ストレスの中、我慢して節食していたので、体重が減った。トレーニング後の数値は、血圧は異常なし。肥満度−1.5%で、体脂肪率は19.8%である。体重は減ったが、体脂肪量はまだ多いので、当分節食を継続することにする。体重を減らすには節食が一番だ(しかし、バレンタインのチョコを食べ過ぎて、ニキビに悩み出した)。
 帰宅したら、あまりにも体が軽くなっていたので驚いた。爽快な気分である。
 その勢いで原稿もさーっと完成させようとしたが、そうは問屋が卸さなかった。夕食後、一度ワイフに読んでもらったら、短い原稿なのにもかかわらず、時間が前後して読みにくいとのことだったので、思い切って修正した。
 明日、出版社と原稿の提出方法を電話で相談する。

2月23日(月)「原稿を送ったぞ・・・の風さん」
 昼休みに出版社と原稿の出し方を相談した結果、ファックスとメール添付の両方で提出することにした。
 例によって帰宅はかなり遅くなったが、夕食を摂り、シャワーを浴びて、午後11時から先ず最後の原稿修正に取り組み、結局、午前1時過ぎにファックスとメール送信を完了した。久しぶりに作家として仕事した気がした。
 しかし、そのためにメールチェックがほとんどできなかった。明日、返信メールを送らねばならない。

2月24日(火)「どうにも忙しすぎるう〜・・・の風さん」
 昨夜送った原稿に対して、出版社から何の応答もない。私も一日中多忙で、電話1本入れる余裕がなかった。ちょっと不安である。
 夜9時半になって、未読メールをチェックしたが、まだ300件以上も残っている。風さんの会社生活は、この未読メールの多さが物語っている。その数字の大きさにどっと疲れて、退社することにした。
 帰宅後、たまっていたメールへの返信をまとめて処理した。結構大変だった。
 いよいよ長編に着手しなければいけないのだが、どうも心身の準備ができない。せめて読書でもするか、と早めにベッドに入ったつもりが、時計を見ると、もう午前1時だった。やばい。

2月25日(水)「小説家復活の日はいつ?・・・の風さん」
 寝坊してしまい、ちょっと焦った。
 久しぶりに本社に出社した。会議があったのだが、疲労がたまっている体にはちょうど良かったかも。本社の会議には悲壮感はないので、リラックスして出席できる。製作所の会議は毎日「ピンチ」の3文字が空中戦を展開しているので。定時後は、食事会となった。これもリラックスの延長線以外の何ものでもない。
 今日も出版社から何の連絡もない。こちらからも電話する余裕がやはりなかった。明日こそ電話してみよう。
 久しぶりに9時前に帰宅できた・・・気がする。しかし、何となく体調がすぐれない。疲労だろう。
 そうだ。昨夜もその前の晩も遅かったのだ。今夜は少し早目に寝よう。

2月26日(木)「幻術絵師とは・・・の風さん」
 ようやく夕方、出版社へ電話できたが、副編集長は不在だった。明日連絡してくれるように頼んだ。
 鈴木輝一郎さんの『幻術絵師、夢応のまぼろし』を読み終えた。描いた絵が紙から抜け出して、暫時、現世をさまよい、やがて煙のように消えていくという、そういう幻術を持った絵師の物語である。短編集で、最初の「夢応の現絵」は、実になめらかでリズミカルな文章で感激した。他の作品は、輝一郎さんらしさが横溢したものばかりで、シニカルな文体や、ボキャビュラリーの豊富さ、意外な展開など、さすがエンターティナーである。お試しあれ。

2月27日(金)「奇っ怪な朝・・・の風さん」
 昨夜、幻術絵師の物語を読んでから寝たせいではないだろうが、朝から変だった。
 かつて免停になりかけた苦い経験から、ミッシェルにはレーダー探知機がついている。ネズミ捕りに反応して、しっかり教えてくれる。反面、ネズミ捕りと類似の電波を発しているレーダー探知機をつけた車や、パチンコ店の周辺などでは、高周波信号に反応してアラームが鳴る。
 自宅を出発してすぐ、そのアラームが鳴り出した。見ると、目の前を走るワゴン車がレーダー探知機をつけている。それに反応しているらしい。しばらく走って、私はわき道へ入った。同時に、アラームが鳴り止んだ。
 ところが、また鳴り出した。バックミラーを見ると、後ろから追いついてくる黒い車がある。道がカーブしたり、アクセルを踏み込んで引き離すとアラームが鳴り止むので、どうやら、後続の黒い車も電波発信型のレーダー探知機を搭載しているようだ。うっとうしい。かなり走って、その車が車線変更して、ミッシェルの前に来た。次の交差点で私は右折するので「おさらば」できると期待していたら、そいつが右のウィンカーを点灯させた。
 なおしばらく走って、ようやくそいつは右の道へそれて行った。
 信号待ちとなった。対向車線にオートバイが止まっていた。何か、ドライバーの体の前で動く白い物が見えた。
 信号が青に変わった。
 オートバイは猛烈にダッシュして、ミッシェルの脇を走り抜けた。そのとき、私が見たものは・・・おお〜! オートバイのガソリンタンクの上に鎮座する白い犬だった! 風圧にやや顔を背けながら、それでも落ちないように微妙にバランスをとっていた。
 ・・・。
 久しぶりに6時前に退社した。まだ外が明るい! 知らぬ間に、日が長くなっていた。

2月28日(土)「確定申告と純文学の関係・・・の風さん」
 最近は週末しか行けないトレーニングに行った。ガチガチに固まった体をほぐすことができるので、トレーニング後は非常に爽快な気分になれる。
 今日の結果は、血圧は異常なし、・・・で、体重が予想以上に減っていた。しかし、体脂肪そのものの重量は減っていなかったので、体脂肪率は悪くなっている。ズバリ、肥満度−2.3%で、体脂肪率21%だった。もう少し体重を減らしたい。そして、トレーニングによって体脂肪量も減らしたい。
 帰宅後、確定申告の準備をした。レシート類をたくさんためたので(と言うより、昨年は非常にお金を使ったので)、とてもハンドで計算は無理と判断し、パソコンのエクセルに入力して一気に計算してみた。すると、とんでもない赤字になってしまった。少ない雑収入で膨大な経費というのは、どうも怪しまれそうで怖い。結局、自己否認をした後、さらに10万とか20万といった単位で各費目から引いて、合計で100万円も調整し、何とか数万円の黒字というところで落ち着いた。
 ざっと計算が終わったので、さっさとベッドに飛び込み、昨日、床屋で読み出した『博士の愛した数式』(小川洋子著)の続きを読んだ。あと少しで読み終わるが、なかなか数学という素材をたくみに純文学に織り込んだ作品である。こういうのは私が書かなければいけないような気がする。

2月29日(日)「『怒濤逆巻くも』から「ザ・ラスト・サムライ」そして「姿三四郎」への連続線の巻」
 うるう年なので、今年は1日もうけた。年間労働時間の決まっている会社なら、1日余分に休日が配置されている筈である。その本来おまけで余裕の日であるべき日曜日に、結構ハードな生活をした。
 やや遅めながら8時に起床し、先ず、ワイフとモーニングに出かけ(愛知県の独特の習慣で、ほとんどコーヒー代で、ちょっとした朝食が食べられるのだ)、それから、ハンバーガーショップで昼食を仕込んで、映画館へ向かった。目的は「ザ・ラスト・サムライ」である。昨年、名古屋で、超満員のために観られなかった映画だ。
 まさか時代が1876年だとは予想もしなかった。明治12年から13年にかけてである。時代考証としては、かなり変な部分があったが、ま、フィクションということで大目に見ておこう。それよりも、テーマの大きさとドラマ性という点で、素晴らしい作品だった。
 騎兵隊員としてインディアンを虐殺した経験のあるトム・クルーズ演じる主人公は、軍人としての行動と人間としての行動の矛盾で、酒なしには生きて行けない状態だった。クリスチャンでありながら、精神的に混乱していた。そこへ、日本へ渡って日本の政府の軍隊を訓練して欲しいという依頼がある。日本の中の反乱軍を抹殺するのが目的だ。日本でその反乱軍と戦ったトム・クルーズは、捕虜となるが、そこで武士道というものに初めて触れる。渡辺謙演じる勝元らと生活を共にするうちに、初めて精神的な安らぎを得るのだ。(中間は略す)財閥の大村が仕組んだアメリカとの武器に関する商談を、トム・クルーズから勝元の刀を受け取った若き明治天皇は拒否する。「日本は欧米の文化を吸収して豊かになったが、忘れてならないものは日本人たる誇りである」大村は失脚し、天皇はトム・クルーズに勝元の最期の様子を尋ねる。「勝元の最期はどんなだったか?」すると、トム・クルーズはこう答えるのだ。「彼がどのように生きたかをお話しましょう」と。
 ややもすると日本や日本人を馬鹿にしたような扱い方になりかねないアメリカ映画が、こうも見事に武士道を映像化できるとは!? そして、当時の明治政府にあたかも人なきがごとく、武士道の衰退を象徴的に描くなど、時代考証の脆弱さとは裏腹に、この部分だけは、かなり史実に忠実な印象すら受ける。そういう意味で、この「ザ・ラスト・サムライ」は、拙著『怒濤逆巻くも』の続編のような錯覚すらおぼえる。このような作品がアメリカ人の手で、アメリカ映画として作られたことは驚嘆であるが、一方、日本人には到底できない仕事のようにも感じられ、悔しい。
 渡辺謙の迫力と、小雪の存在感も強く印象に残った。渡辺謙は次作の「バットマン」で悪役をするそうだし、期待したい。また、小雪の存在が、ラストでトム・クルーズが吉野の里で生涯を閉じたという余韻を残すきっかけになっていて、見事だった。
 映画に夢中になっていて、ハンバーガーを食べそこなった。ワイフとミッシェルの中でささっと食べ終え、続いて、半田の半六邸に向かった。ひな祭りのイベントを見学するためである。
 午前中の雨が上がったせいで、大変な賑わいだった。行列に並んでいると、秋月達郎さんがやってきた。「姿三四郎、観に行きません?」と言う。60年前の16mm白黒映画を上映すると言う。これは、半田の運河沿いがロケで使われていて、特別公開しているのだった。
 秋月さんの解説で、映画は始まった。初期の黒澤明監督の作品(1943年製作)で、主演は主演は藤田進。他に、轟夕起子、大河内伝次郎、月形龍之介、志村喬などが出演している。舞台は明治15年で、な、なんとさっきの「ザ・ラスト・サムライ」の時代である。こちらの方が時代考証はしっかりしている筈なので、違いがはっきりと分かる。明らかに時代考証の間違いがはっきりしたのだが、そんなことより、いちいちお辞儀しながら行動している日本人の姿というのは、「ザ・ラスト・サムライ」で忠実に再現されていて、心憎い。同時に、かつての「礼に始まり、礼に終わる」ような日本の社会はどこへ行ったのかと思ってしまう。
 それから、黒澤明と言えば、「ザ・ラスト・サムライ」の戦闘シーンの迫力など、黒澤明の影響のような気がした。
 買い物をしてから帰宅し、夕食後は、昨夜の確定申告の続きをやった。

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